以下のテキストは1997年8月4日、スーパー工房の設立が最初に構想されたときの提案文書ですが、ここに原文のまま掲載します。なお、このテキストには、しばしば「われわれ」という一人称が登場しますが、これは、スーパー工房を設立するための準備にかかわった数名のメンバーを指しています。


 
SUPER LABORATORY

人体は数十兆の細胞で構成されている。

生命は高度な統一体だから、これらの細胞はきっと一糸乱れぬ協調の関係にあるのだろうと思いがちだが、じつはそうではない。もちろん、おおまじめに働いている細胞もたくさんだが、子細に観察すれば、いったいこんなことで生命が維持できるのだろうかと心配になるほど、てんでんばらばら、勝手なことをしている細胞もある。
ある細胞は周囲と協調すべき時にいつも手抜きをしている。また、ある細胞はことあるごとに多数派に歯向かっている。ある細胞は定住せずふらふらと体内をさまよい、ある細胞は近所付き合いが下手なために孤立し、ある細胞は子孫を作ることに失敗してただ死を待っている。生まれてから死ぬまでほとんど何もしない細胞もあれば、活躍しすぎて我を忘れ、ついに独善の道を歩み始めたために免疫機構によって始末されるものもある。
どうしてこんな矛盾に満ちたものが百年も生存できるのか、人類はまだその詳しい理由を知らない。それは次の世紀の課題だ。
巨大であり、複雑であり、それゆえに内部に多くの矛盾と混乱を抱えながら、しかし全体として安定を保っているこの摩訶不思議な実体――生命の機構を、最近、スーパーシステムと呼ぶようになった。そして、人類はこのスーパーシステムから次の世紀を構築するためのヒントを学ぼうとしている。

さて。
われわれはこのスーパーシステムに学び、ここにスーパー工房を提案し、検討する。
スーパー工房は、それを構成する人や組織がそれぞれ独立を保ちながら、時に応じ、機に応じて協力し、一つの強力な事業主体を創出するための母なる仮想空間である。



大洪水のなかで
― 現状を正しく知ろう

時代の濁流の中で
われわれはそれぞれの自負にしたがい
それぞれの道を選択し
  それぞれの夢を追ってこの数年を歩んできた

そして今 われわれはみずからをふりかえる
おお なんてことだ
われわれは孤立し 今日も徒労の中にいる
われわれは憔悴し 明日が信じられずにいる

われわれは孤立している。
「孤立している」とは、いうまでもなく、他者の協力が十分に得られないでいるという意味だ。また、われわれの存在が社会に十分に知られていないという意味でもある。
われわれの多くは、信頼すべき事業パートナーを持たないために、思い切った受注ができない。われわれのある者は、自分たちの守備範囲ではないというだけで、あるいは自分のところに十分な知識や設備がないというだけで、大小のチャンスを投げ捨てているし、またある者は、設備はあり技術にも自信はあるが、実際のところだれも仕事を持ってきてくれない。結果として、われわれは、技術や人、資金など、要するにこの社会に存在する有形無形の資源を利用することができなくなり、すっかり追いつめられてしまった。
これは重大な問題だ。
なぜなら、そこから脱却しない限り、われわれに成功は望めないからだ。

われわれは憔悴している。
生活に、仕事に、なにしろ無駄が多く、雑用が多いのだ。せっかくの仕事も、どうしてか十分な報酬を得られない。わずかな報酬なのに、多大の努力を要する仕事ばかりが回ってくる。かといえば、まったく仕事がなく、そしてこれほど憔悴するものもない。 しかし、報酬が少ないからといって、また仕事がないからといって、それだからわれわれは憔悴しているのだろうか。どうも、そんなことはないようだ。なぜなら、仕事がある者たちも憔悴しているからだ。

われわれはなぜ疲れ果てているのか。
それは、われわれの未来に希望がないように見えるからである。



因果はめぐる
― どこに問題があるのだろうか

原因なくして結果はない。
われわれが孤立し、憔悴しているのはいったいどうしてなのだろうか。

しかし、われわれにはここで長々と議論をしている暇がない。
それは、この世界的な洪水が始まる前から心ある人々のあいだで限りなく議論され、提案され、警告されてきたことだ。われわれのうちの幾人かは1996年の上期に何度か集まり、実際にこの問題について話し合っている。そのときわれわれは「マルチメディア」をキーワードにし、この社会で何か巨大なものが変化しつつあることを話し合ったのだが、それが何であるか、その時点ではまだ多くの者が認めるほど明らかな証拠はなかったから、われわれのうちの多くは事態を甘く見てしまったのである。

今となっては、何が起こったか明らかである。大洪水が起きているのだ。
かつての産業革命に匹敵する変革が起きていると主張する識者がいる。産業革命どころか、文明の根底をゆるがす前代未聞の大変革が起きているという者もいる。
変革の時代であるから、敗北し没落する者がある一方で、無名の者がおどりでてきて世界の財物をみごとに奪い取る。勝者と敗者が截然と分かれる。われわれは、どうやらこのままでは敗者の方に入るらしい。
少数の例外を除けば、われわれのほとんどはまじめな労働者だ。安い報酬でも、劣悪な環境でも、長時間よく働き、それを生涯くりかえしても愚痴ひとつこぼさない。それなのにわれわれは報われることが少なく、ことにこの数年は報酬そのものが手に入らなくなる者が絶えない。多くの者が没落して姿が見えなくなり、残った者も多くは停滞するか、そうでなければ意気阻喪している。
要するに、大洪水に押し流されてしまったのだ。

われわれは大洪水への備えを怠ったのである。
われわれは次の点で極めて怠慢だった。

  • われわれは、洪水が起きるという警告に耳を傾けず、そのための準備を怠った。
    しかも、それが起きてしまってもどうしてよいかわからず、ただ流されていくままだった。われわれは羅針盤を持たない難破船だった。
  • われわれは、変革の時代には自分たちが持っている設備や技術がたちまち時代遅れになるということを真剣に考えず、それを改善していく努力を怠った。結果としてわれわれの技術はまったく魅力のないものとなり、だれにも注目されなくなった。



洪水はどこへ
― われわれの活路はどこにあるのか

混乱の中でわれわれが目撃し、世界の多くの人々が身近に経験している大きな変化――大洪水は、われわれをどこへ連れて行くのだろうか。
これについても、もう議論は十分である。われわれはネットワーク社会に放り出され、無数の網の目が作る結節の一つとなるのである。そのようすは、たとえば、以下のようなものである。

NETWORK

孤立した結節(人や組織)は、そこでは存在できない。それぞれの結節は独立しているが、他と無関係に存在しているわけではない。結節同士はそれぞれの事情に応じて自由に協力したり協力しなかったりすることができる。協力しているときは全体として一つの組織として機能するが、そこに支配関係があるわけではなく、それが終わればそれぞれがまた一つの結節にもどる。

このようなネットワーク社会では、それを構成する結節(われわれのことだ)が十分な働きをするためには、以下の点が重要になる。

  • われわれは、われわれと協力関係にある他のどの人や組織とも、スピーディで正確なコミュニケーションを行なうための手段を持っていなければならない。われわれはすでに電話やファクスなどの手段を持っており、しかもそれらは非常に役に立っているが、ネットワーク社会のためにはそれだけでは不十分である。
  • われわれのそれぞれが、そこで何ができるのかが明確でなければならない。たとえば、ある者が技術屋であるのなら、どの技術で優秀であるのかが、周囲に十分に知られていなければならない。もちろん、彼は実際に優秀でなければならない。もしも彼が仕事の依頼がなくて困っているのだとすると、それは、彼が周囲の成功者に知られていないか、それとも彼の技術が信頼されていないかのどちらかである。


新しい大地
― もっと具体的に

活路は見出された。われわれは次のようにすればよい。

  • われわれは、自分が何をするか目標を定め、それぞれの技術のプロフェッショナルにならなければならない。
    この場合の技術は広義に考えてほしい。コンピュータを操作するのは確かに技術の一つだが、人と応対し信頼を勝ち得るのも技術の一つである。
    われわれがどんなことでネットワークに貢献できるのか、それが明確でなければ周囲の者は仕事を依頼することができない。また、同じ技術を持っているなら、優秀な方に依頼したくなるのは当然である。
    時代が過渡期にあるということは、努力家には好都合だ。なぜなら、どの技術もまだ完成されていないので、実際のところ、本当に優秀なのはまだごくわずかしかいないからである。つまり、初心者の彼にも脚光まばゆい舞台に上るチャンスがある。
  • われわれは、もっと広く社会から知られるための努力をする必要がある。
    技術をみがき、その努力が実って世界一になったとしても、それが社会に知られなければ何にもならない。われわれは自分の技術に自信があるなら、堂々と社会に出ていって、大きな声でそれをアピールするべきである。
    そうは言っても、ある者は「やる気は満々だが弁が立たない」と悩むかもしれないし、別の者は「はずかしくて人前ではどうも」と尻込みするかもしれない。しかし、心配はない。これらの人々にとってもネットワーク社会はまことに好都合だ。なぜなら、彼らは自分のオフィスにいて、ゆっくり思案しながらそれができるからである。
  • すぐれたネットワークに参加し、それによって恩恵を受けることができるように、われわれは自組織の基盤整備を行なわなければならない。
    だれと協力するかは、その者の成功にかかわる重大問題だ。われわれは将来に希望が持てるネットワークに参加し、その重要メンバーになりたいのだから、今すぐにでもその準備を始めなければならない。ビッグビジネスが可能なネットワークに参加しても、その足手まといになってしまってはチャンスも台無しだ。
    たとえば、電話は役に立つ道具だが、それを使って同時に何人とコミュニケーションできるだろうか。電話やファクスなど、既存のメディアを使って、遠く離れた人々と密接に協力しあいながら長期の仕事をすることができるだろうか。
    それは、不可能ではないが、非常に困難で犠牲の多い作業である。それのみでは、われわれはいつか力尽きてしまうだろう。つまり、われわれはもっと別の強力なメディアが必要である。



第一歩
― できることから始めよう

要約すれば、われわれの当面の努力目標は次の2点だ。

  • 何でもよいから一流の技術を持つ。そのための勉強を始める。
  • 実際にネットワークに参加するための最低限の基盤を作る。
どんな技術を持てばよいのか
それは自分で決めるべきだ。何であれ、他と比べて優れていればよい。
われわれの中には印刷・DTPにかかわる者が多いが、その経験を生かすのなら、たとえばホームページ用のコンテンツ作りを勉強するのもよいし、少し思い切って画像や音声を含めたマルチメディアコンテンツまで進んでもよいだろう。Windows環境でのDTPが注目を集め始めているから、そのノウハウを徹底的にみがくのもよい。
また、ネットワーク時代に乗り遅れまいと中小企業は自社内ネットワーク(イントラネット)構築に躍起になっているから、そこにはたくさんのビジネスチャンスがあるだろう。これもわれわれの仲間には取り組みやすい目標だ。幸運なことだが、われわれの中にはすでにその技術を持っている者もいる。

ネットワークに参加するための最低限の基盤とは何か
それは、端的に言えば、インターネットへの接続環境である。それが第一歩だ。それだけで状況は確実に変わってくるだろう。
難しく考える必要はない。実際に利用してみればよい。電子メールをやりとりし、ファイルのダウンロードやアップロードを経験し、掲示板をのぞき、ホームページの出来具合を批評してみることだ。外国まで出かけてご禁制の絵を見てもよいし、大統領閣下や女王陛下にメールを出すことも許されている。
しばらくすれば、その長所がわかり、欠点もわかるだろう。そして、電話を使うのと同じように気軽にそれを利用できるようになれば、もう大きなハードルは越えられている。われわれは、その経験を生かして新しいビジネスを開始することができる。
(ただし、ここでは技術の詳細については触れない。それぞれの現在の環境によって必要なものが異なるからだ)



次の一歩
― われわれのネットワークを作ろう

最初の一歩が問題なく踏み出せたなら、われわれはただちに次の作業を始めるべきである。つまり、われわれのネットワークを作るのだ。 われわれは、次のただ一つの目的のためにネットワークを構築する。

われわれはネットワークを通じて互いの資源を共有する
資源の共有こそネットワークの最大のメリットである。資源とは、それぞれが持っている設備であり、情報であり、それらを活用する技術である。
われわれはネットワークを通じ、実際には遠距離にいる者と、まるで隣席にいるように共同作業ができるはずである。これは、他者が持っている技術をわがもののように利用できるということを意味する。また、われわれはネットワークを通じ、自分は持っていないが他者が持っているハードウェアを、まるで自分のもののように利用できるはずである。

スーパー工房の誕生
われわれがもしも円滑に相互の資源を共有することができるなら、ネットワークの外部からは、われわれ全体が一つの強力な事業体として見えるようになることだろう。ネットワーク上に成立したこの仮想的な作業空間を、われわれは、仮にスーパー工房(SUPER LABORATORY)と名づける。
スーパー工房は外注システムの別名ではないし、A社やB社の工場の一部を固定的に指しているのでもない。スーパー工房は、ネットワーク上の資源をもっとも有効に共有したときに生まれてくる「機能」に対して名づけたものである。
したがって、ある仕事がA社の依頼でB社の工場で遂行されるなら、そこはたしかにスーパー工房だが、それをだれかが引き継いで旅行中の車中で仕事をすれば、こんどはその車中がスーパー工房である。そして、ネットワークが十分に機能するものであれば、スーパー工房がどこにあってもA社は仕事の進行を自社の責任で完全に管理することができる。事情はB社が受注した場合でも同じことだ。こうしてスーパー工房はA社の一部であり、B社の一部であり、つまりネットワークに参加しているすべての人や組織の一部となるのである。

わかりやすく言えばこういうことだ――われわれは、自組織の現状を維持したままで、今よりもずっと多くのビジネスチャンスをつかむことができる。しかも外注せずに。



会談の呼びかけ
― スーパー工房をスタートさせるために

スーパー工房のイメージは次のようなものかもしれない。

SL IMAGE

さて、スーパー工房をスタートさせるのは大変か。それが問題だ。
しかし、まったくそんなことはない。
われわれのだれかが自由に管理できる、インターネットに常時接続された1台のコンピュータと、インターネットを介してそれにいつでも接続できるあなたのコンピュータが必要なだけだ。信じられないかもしれないが、ひとまずそれで十分である。

しかし、ここから先は、われわれはよく話し合わなければならない。われわれは、まずわれわれ自身の意識の基盤整備をするために、それぞれの率直な意見を述べ合い、一致点を見出すための努力をしなければならない。
すべてはそれからだ。

洪水はまもなく終わる。
われわれは新しい大地に勝者として上陸しなければならない。
われわれは今度こそ誇らしい旅を始めようではないか。

1997/08/04
 

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